2006年 03月 05日
時の謎は永遠に解けない。 時の謎がとけなければ生命の謎も解けない。 歴史とはだれの記憶か? 記憶は時間と矛盾するか? 時間が粒子のようなものならば、 粒子をジャンプし続けても残る『個』とはいったいなにか? 思考とはなにか?精神とはなにか? 主体とはなにか、又それはどこにあるのか。 『ある』とはなにか。 『相対』とは、『絶対』とは・・・ あるのかないのかわからないものは あってもなくても同じなのか。 おなじならあった方がいいのか。 ないほうがいいのか。 善と悪の基準は? 宇宙の本質に善と悪はあるのか? われわれが宇宙の一部なら 宇宙はわれわれの総体だ。 つまり、 宇宙とわれわれと神は一心同体なのだ。 そのつながりを求め知ろうとする意思を主体というのであれば、 主体とは個であり全体である。 相対は絶対であり客観は主観となる。 無意識は意識であり、 生きることは死ぬこと、 死ぬことはいきること。 では、 生きることへのこだわりはどこから? 死ぬことへのあこがれはどこから? 別離の哀しみや出会いの喜びはなんのため? なぜ愛しなぜ憎むのか? 本当にヒトは人なのか? 『とき』 が、 すべての鍵なのだ。 答えは太陽風に舞っている・・・ 2006東京/花男
by kotoba-no-shima
| 2006-03-05 14:51
|
アバウト
詩/花男
きせき
わかりあえる人もなく、 誰にも知られず、 誰にも顧みられず、 酷く疲れ、 酷く汚れ、 行く当てもなく真っ暗な嵐の海を彷徨う 小舟のように不確かな存在だと、 自分のことをそう感じているのなら、 そう感じているのにまだ生きていて、 あしたも生きていくつもりなら、 君こそ奇蹟だ。 そんざい いる、 ただそこにいる ということの しんじられないちからを、 まだだれもしらない。 せかい 手をひろげてみる。 そこまでが自分の世界。 なんと狭い世界だろう。 その狭い世界を 所有することもできない。 手を広げたまま歩く。 世界が動き出す。 世界は動かせる。 所有はできないが、 世界は動かせるんだ。 こころ こころはどこにあるか。 あたまのどこか。 からだのどこか。 うちゅうのどこか。 こころはなにをするか。 もとめる。 よろこぶ。 つながる。 こころはどこでであうか。 じかんのなかで。 くうきのなかで。 ことばのなかで。 ゆめ 何時でもさがして 何度もなくして 何時でもさがして 何度もなくして それでも ゆめをみる 怪人バク男 妖怪バク女 バク人軍団 バク民帝国 幻のバク大陸 不思議惑星バク 謎のバク銀河 バク宇宙の神秘 ゆめを食って生きる ゆめジャンキーのゆめをみる、 しぬまでなおらない おおバク野郎たち。 世界とは、 うちゅうとは、 バクが見た バク自身のゆめだった。 おとな どうせよくわからないから、 すきなように考える。 むかしのひとは、 そうやって生きていた。 みんなうまくできないから できなくてもだいじょうぶ。 子供はみんな そうやって生きている。 今、大人の世界には マチガイがたくさんにあって、 セイカイがひとつもない。 うまくいかないことばかりなのに、 できないと責められる。 バランスが悪いのである。 むり むりなものはむり。 むりしてもむり。 できないことはできない。 ので、 やりたくないことはやりません。 いやなことはいや。 いやいややってもむだ。 むだなことはむだなので いやなことはやりません。 にんげん 宇宙の存在を信じることを科学という。 精神の存在を信じることを哲学という。 神の存在を信じることを信仰という。 愛の存在を信じることを人間という。 かんよう かんようであるためには すこしばかりのにんたいが ひつようである。 かんようであることは たにんをかいほうし じぶんもかいほうする。 にんたいは じゆうの種子であり かんようは じゆうの萌芽なのである。 いのち 宇宙は生命。 生命は存在。 存在は意識。 意識は人間。 お互いを否定することはできない。 否定したとき宇宙は消える。 あらそい キミと争いたくない。 キミと争いたくないのさ。 キミは凄いヤツかもしれないが、 キミとあらそってたとえ勝っても、 そしてキミより凄くなっても、 ボクは幸福になれない。 ボクの夢はキミの夢とは違うから。 ひと じんしゅ、しゅうきょう、けいざい。 あまりにもふかく、 くらく、 かなしく、 あたたかい。 あらゆるふじょうり、 あらそい、たいりつ、 ふかんようは、 ヒトがムシかカミにならなければ、 なくならないだろう 月と日 カリスマ太鼓持ち 茶汲みサイボーグ モラトリアム貴族 インテリ色狂い 4回死んだ国にのぼる月は 結構のんき バカな女のような、 その無邪気さに救われるのだった スター使用人 セレブ芸者 中堅ニート 消費評論家 4回死んだ国照らす日は 結構げんき バカな子供のような、 その無防備さにあきれるのだった ゆうじょう 自分のことををわかるのは自分だけ。 自分がわかるのは自分のことだけ。 誰かの事はその誰かに聞こう。 本人がいちばん知ってるはずだから。 本人同士が本人の事を教え合って、 相手の事が分かるようになることを、 対話という。 あまり話さなくてもよくなることを、 理解という。 なにも話さなくてもよくなると、 その関係を 友情というのだ。 友情は対話の究極のかたちだ。 本当の対話をすれば、 友になれる。 人も国も世界も。 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||